「なぜ、地域通貨は、ボランティアではないのか??」
ボランティアと言うと無償で労働やサービスを提供することですが。
先日、フェアトレードの会議で雑談中に私がやっている地域通貨じねん(友愛経済)の話をしたところ「それって、ただのボランティアなんじゃないですか??」と言われました。
ただのボランティアではないと思いましたが、その場では、すぐに反論できませんでした。
私が地域通貨(友愛経済)の対象にしている友人が5名ほどいますが、私は、彼らにボランティアをしているとは認識していません。
具体的に言うと一緒に映画を見に行ったり、イルミネーションの写真を撮りにゆきたいというリクエストに答えてイルミネーションの場所まで送迎してあげたり、勉強になりそうな本を貸してあげたり、悩みを聞いて一緒に悩んであげたりしていますが、私は、それをボランティアだとは思っていません。
それらひとつひとつは、小さなお願いとか、リクエストですか、それらは、彼らの人生や生活の質を向上させることができるお願いだと思っています。
人生や生活の質を向上させると言うことは、彼らの人生の立て直しをしていることだと思っています。
それって、単純なボランティアではなく、それ以上のことだと思っています。
私は、子供の頃からそう言う仕事が好きでした。
覚えているのは、自分の祖母が時計が壊れて時間がわからないと悩んでいたので、見てあげたら電池が無くて、止まっているだけでした。その電池を交換してあげたら祖母は、すごく喜んでくれました。そして、喜ぶ祖母を見て、私もすごくすごく嬉しかった。
人生の悩みというのは、そんなものだと思うのです。ひとは、そんな些細な障害で自殺してしまったり、鬱になってしまったりすると思うんです。
真っ暗な闇の中で道に迷っているひとの手をとって、向かうべき方向(たとえそれが間違っていても)へ、ガイドしてあげるだけでそのひとは、自分の人生を歩きはじめることができるのではないかと思います。
それって、単純なボランティアではないですよね。