2017年6月27日(火) 19時から21時、第六回 じねんミーティングを行いました。
今回は、まちぴあで行いました。
参加者は、トランジションタウン那須から 平山さん、宮下さん、戸井田さん、ご夫婦の方(Facebookをしていないので名前がわからない)、中尾さん、佐藤順の7名でした。
最初は、参加者いないのかなと思って、ピケティの DVD でも一人で見てようかなと思いましたが、意外にも人が集まって驚きました。
みなさん、トランジションタウン栃の木のこれまでの活動の様子を知りたいとのことだったので、パソコンで Facebook の写真や栃の木のホームページを見ながらの説明になりました。
みなさん、今後、トランジションタウン那須の活動を始めるにあたり、どんなイメージで、活動をして言ったらいいか?そんなことを疑問に思っているようでした。
平山さんは、東京でクリーンエネルギーの推進をする企業に勤められていて、地元の栃木に戻り、地元でトランジションタウンのような活動をして行きたいようでした。
最初、トランジションタウン運動とは?みたいな話になったのですが、私は、目標を一つ掲げて、みんなでそれに向かってゆくようなのは、ちょっと違うんじゃないかと思いました。
確かに脱石油文明という大きな目標?ビジョンはありますが、実際は、それぞれにプロジェクトを立ち上げて、それぞれの人がリーダーになって進めてゆくので、目標は、一つじゃないと思うんです。
ワーキンググループという形で、様々な未来へ向けたアクションをして行くのというのが実情ではないかという話をしました。
そのほかに時に代表者とかは、いなくて、みんながリーダーみたいなグループという話をしました。(⬇︎の弱いリーダーシップのこと)
未来のつくりかたの体験談『「ほしい未来」は自分の手でつくる』
1. まず、「自分ごと」からはじめる
2. 人間の行動を変える「楽しさ」という力を活かす
3. 小さくはじめる
4. 淡々と続く仕組みをつくる
5. お客さんを、「参加者」にする
6. 「弱いリーダーシップ」を発揮する
7. ビジョンを共有する
8. 活動を生態系化する
その後、本日のテーマの「ポスト資本主義の経済システムを学ぼう」ということで、本を出して、みんなで興味があるとこをを読みました。
参考図書は、Facebookのイベントページを参照してください。
その中で、シュタイナーの「社会の未来」の一節を読み上げました。
『精神生活、政治生活(法律、国家)、および、経済生活が次第に混沌とした状態で現代にいたり、もはや区別のつかないものになってしまっていること、そしてこの混沌とした状態の中から現代の社会悪が生じていることを理解するでしょう。』
これが、シュタイナーの言う、社会三分節化論の趣旨のようなのですが、これは、ミヒャエル・エンデの言う、お金の機能的矛盾に似ているなと思いました。
もともと、ミヒャエル・エンデは、シュタイナー学校の卒業生で、シュタイナーの思想の流れを組んでいるのではないか?と言う話も、宇都宮市内のシュタイナーの研究者から聞いています。
その他に、栃の木のリーフレットの「懐かしく豊かな未来の暮らしを創るコミュニティ」と言う、懐かしい未来というのが、一見、矛盾するようで興味深いという話も出ました。
これは、ノーバート・ヘレナ・ホッジの「幸せの経済学」で出てくる言葉なんですよ。という話をしました。
リーフレットについては、五月女尚子さんがトランジションタウンの説明を書いて、しばらくしてから、佐藤順が少し書き直しましたという話をしました。
構造的な非平和のない社会というのは、平和学の父と言われる、ヨハン・ガルトゥング博士の言葉をお借りしました。という説明をしました。
トランジションタウン運動の解釈が様々に進む中、もう一度、ロブ・ホプキンスの思想を振り返る必要性を感じています。
それと、脱石油社会と言いつつ、いつもコンビニのペットボトルのお茶とか飲んでいる私ですが、私の考えは、自分一人、石油製品を減らしたり、消費社会から逃れて見てもあんまり効果ないんじゃないかと思っています。
自分は、消費者がこの石油依存社会を望んでいるとは、思ってなくて、企業が作っている製品を買わされているだけだと思っています。
企業の方に脱石油社会への努力が必要という考えです。こう言うと、いやいやそんなことは。と議論になりますが、アプロートは、人それぞれで良いと思っています。
消費者が進んで石油製品といっぱい消費してやるぞ!なんて思っていないと思うんです。
みんなできれば、不可逆的なエネルギーや資源の消費は、みんなしたくないと思っていると思います。